なつかしい場所にて(3)
GWを過ぎるころ、学院に馴染み始めた学院生たちはいろんな意味で学院を楽しむようになります。「今、オマエはここにいる」、そう言われた自身を自覚し始めたのかどうかはわかりませんが。
その頃には、得度(剃髪をする、僧侶としての第一歩)を迎えます。ボクや、他の寺院子弟はたいていそれまでに済ませていますが、それ以外の方は、男はツルツルにし、女性は和紙で後ろ髪をくくります。
そして、さらに馴染んだころに夏休み~休み明けには、前期教師修練を本山で受けます。これは、塀の中の学院より、さらに過酷なものなんですよ。一週間ではありますが、本山の修練道場で衣姿のまま、講義と攻究を繰り返し、真宗大谷派教師としての基礎を叩き込まれるわけです。
でも、このときは学院以外の方も参加され、また多くのご縁が広がります。塀の中に比べれば、一週間のこと、三日もすれば馴染み、楽しみもみつけるくらいたくましくなっていたボクらなんですよ。ご禁制の品(なんでしょう?)もどこからともなく調達してきました(笑)。
真宗は、人が人として生きることを開く道、そのためにはあらゆる差別や偏見なしにひとりの人としてのご縁をどう引き受けていくのか? 戦争をはじめとする、さまざまな人の業を、ひとりの人としてどう考えていくのか? そんなことを、学院よりさらに濃密な時間の中で展開したように思います。
修練を終えた秋、学院祭を迎えます。毎年、学院祭にはテーマがあり、学院生ひとりひとりが問題提起をし、討論しテーマを決めます。ボクが本科生だったこのときに決まったのは、「ボクが ボクであるために」でした。たしか、ボクは実行委員の副委員長だった、ように思います(苦笑)。
呑み、歌い、踊り、学院祭は日頃のタガがはずれたように弾けたものでしたね。塀の中は、班も、学舎も、学生も職員も超越したいい意味での無法地帯(?)となってました。
修学旅行を経て、冬休み。年が明けるとすぐの後期修練では、人として生きる道の仕上げを考えながら過ごし、いよいよ卒業へ。ボクの髪も肩まで伸びました。
こんなとこ早く出てやる! そう思っていたはずのボクが、卒業を前にして選んだ道は別科生、つまりもう一年学院に残るという、自分でも意外な結論でした。
つづく
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