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他事想論2

Dsc00620 姿勢を正す、そういうご縁てどれほどあるでしょうか? 昨今なかなかないかもしれませんね。

でも、ご法事の場において、声高に「正座って別にせにゃならんもんやないらしいで」とおっしゃるおじ様方がたまにいらっしゃいます。

たしかに、「ご法事では、正座をしましょう」と文章で書いた規則はないかもしれません。それは、それが当たり前だからではないですか? というのは、ご法事とは、亡き方をご縁として仏法を聞く、つまり今この瞬間を生かされてあるわが身に気づく、確認する場なのです。そこで姿勢を正すこと、これをしなくていいという気持ちは、やはり傲慢とも言えます。

現代の生活で、正座をすることは減少していますし、してもすぐ痺れる、しんどい、という気持ちは理解できます。だからボクは、ご法事の前に「姿勢を正してください。痺れたら崩してもいいですよ。もちろん足腰の不自由な方は、それなりの姿勢で結構ですよ」と言います。

痺れたら崩すのと、最初からしないのとでは違います。姿勢を正すという気持ちが大事なのではないでしょうか?

姿勢を正す、敬意を払う、違う価値観を理解しようと努める、人の話を聞くことを大事にする、便利で物質的にのみ豊かな社会ですが、そういう姿勢が欠如し続けている社会でもあるように想います。

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「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

良くぞ言ってくださいました。
まさしくその通り!

“姿勢を正す”ことは
“けじめをつける”ことだと思います。
普段の生活から、
改まった行事・行動・活動を行うことへの
けじめが大切のなのでは?

この夏、祖母の納骨で、
親戚一同、京都の東本願寺へ出かけました。
私は自分自身、当然ネクタイをして、
子どもにも学校の制服を着せて
“改まった”姿で参加させました。
しかし、我が妹の子ども達は
GパンにTシャツ・・・。
少々情けなくなってしまいました。

「おいおい、大昔のご先祖さんが、
 はるばる京都まで行きたくてもなかな
 行けなかった、ご本山だぞ・・・。」と
心の中でつぶやきました。
なんだかねえ・・。

投稿: 喜右衛門 | 2006年10月25日 (水) 00時57分

喜右衛門さん、ご賛同おおきに。ん~む、姿勢を正す心構え、けじめですか、「まぁ、ええやろ」的になんでもなしくずしがちな昨今だけに大事ですよね。

今度は、心の中でなく、本当の声をあげてください、ぜひ。

投稿: Kei@住職 | 2006年10月25日 (水) 12時25分

ご住職様、こんにちは☆

「正座って別にせにゃならんもんやないらしいで」のおじさん(いくつ何でしょう?)多分、察するに、普段から『けじめ』のつけられないタイプのお方では?・・・と不遜ですが思ってしまいました。

『姿勢を正す』のは、とても大事なことですよね。心身両面で。
正しているつもりでも、ちょっと油断すると崩れてしまうものだけに、時に意識することも必要で、ましてや、法事の席ですら、あぐらで、おし通そうとする、その根性からして情けなくも、恥ずかしい!と思わないのが不思議ですわあ。いい年して。。。

最近、本当に、大人になりきれない大人ってふえましたよねぇ~

いつまでも、子供でいようと虫のいいこと考えている手合いや、責任も果たさず、権利やら自由やらを、多大に求める身の程知らず、とか、子供でもない「大人」と普通は呼ばれるべき立場の人間に、勘違いもはなはだしいのがごまんといるのは、何なんでしょうか?いったい!?

「いくつなの!?あなたっ!」と、当人に言ってやりたいですわあ~私♪

PS・今、送信しようとして、名前書き込みしようとしたら、興奮(笑)していたのか「マリア」と書くべきところ「私」と書いてしまい、ひとりで受けていました(笑)

つい、熱くなってしまいましたわ☆

投稿: マリア | 2006年10月26日 (木) 15時29分

正座云々、そういう発言をされる方は、たいがいいわゆる団塊の世代という方々に多いですね。この世代の方には、いろんな意味で自信を持っていらっしゃる方が多いですね。

かつては、大人とは社会の規範であり、企業には利益を社会に還元するという理念があったはずなんですよね。それが、オレがオレが、私が私が、そういう風にいつ、どうして変化してきたのでしょうかね。

もっと掘り下げていきたい問題ですね。また、ご意見お聞かせくださいね。「私」でもいいですよぉ。でも、「ダレやねん?」て突っ込みますよぉ(笑)。

投稿: Kei@住職 | 2006年10月26日 (木) 22時43分

ちょっと話は変わるかもしれませんが・・・。

ご住職はご経験が無いことでしょうが、
神社でご祈祷していただく時に
かつてはほとんど、拝殿で正座して
ご神職に祝詞を奏上していただくのを
頭を下げて拝しておりました。

ところがですね、
最近の神社では、ご祈祷中、
イス(床机)に腰掛けて
頭を下げる形態の神社が増えてきているんですよ。
(当然、ご住職はご存知ないでしょうからコメントしようが無いでしょうが・・・。西洋文化に侵されてきた証拠でしょうかね。正座が苦手な人が増えてきて、苦情を聞くようになって変わったのでしょうか。)

で、ですね、ご神職は神前で正座して姿勢を正して我々に代わって神様にお取次ぎをしていただいているのですよ。
それで、一方で、
祈祷を依頼した、日常生活にまみれた我々が
イスに座っているのは何だか私には
チグハグで、自分の態度をおこがまく感じるのですよ。
ちゃんと身を清め、威儀を糺している神職の方が
正座して神様にへりくだっているのに、
生活の垢にまみれて身を潔斎していない
我々が
イスの高い席から祈っていて不自然に感じてしようがないのです。
居心地が悪いのです。
「自分たちこそ、座って祈らせていただかなければ・・・。」と。

この状態には、
偉大な存在に対する、
畏敬の念が欠けるように感じるのです。
これは私だけでしょうか?

投稿: 喜右衛門 | 2006年10月27日 (金) 00時41分

いやぁ、実は友人の結婚式にて神前行事を経験したことがあるんですよ。神殿に入る前に、お祓いをさせられて複雑な気持ちになりましたね(苦笑)。そのときは確かイス席だったと記憶してます。

西洋文化に侵されているというのは、ちょっと生真面目すぎるのではないでしょうか。当寺にも足腰の不自由な方優先のイス席はありますし。ただ姿勢を正す気持ち、何もイコール正座とまで言うつもりはないです。どうせ痺れるから、という安易な気持ちで最初から正座しないというのはおかしいと思ったのです。

畏敬の念というよりも、仏事とのご縁を大事にしていただきたいのですね。

投稿: Kei@住職 | 2006年10月27日 (金) 21時19分

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