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三本足、正面はどこ?

Dsc00609 「仏さま、親鸞さま、みなさん、お休みなさい!」

我が家では、夕食後8時ごろに皆でお内仏(仏壇)の前でそう唱えます。これは、この春まで愛息が通っていた金沢別院の幼稚園での挨拶に由来し始めたことなのです。

園児たちは、毎朝「仏さま、親鸞さま、みなさん、おはようございます!」と元気に唱えて、一日の園生活を始め、帰りにも「仏さま、親鸞さま、みなさん、さようなら!」と唱えて帰宅していました。

別院の幼稚園といっても、大半は一般家庭の子どもで、寺院子弟は少数派です。ほとんど毎日、ボクが送り迎えをしていました。半年前のことながら、すでになつかしく感じます(苦笑)。

Dsc00607 話は変わって、この写真の香炉のような三本足のものの正面はどこでしょうか? ご存知ですか?

さまざまなお宅にお邪魔してて多く目にするのは、二本足の方を正面にしている場合です。これは「鼎=かなえ」といって、写真のように一本足を正面にします。つまり、真下からみると三角形の頂点が正面、底辺が後ろということです。

鼎という言葉、たとえば「鼎談=三者会談」という使い方をしますし、名作「三国志」で諸葛亮が劉備に進めた天下三分の計が成立した時代を「三国鼎立」とも言いますね。つまり、三つの足によって立つものを「鼎」というわけです。

漢字は、一文字でさまざまな意味を表します。秋の夜長、漢和辞典を読んでみると、「おぉ!」という発見がありますよ。暇つぶしにはもってこいです(笑)。

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コメント

ご住職様、こんばんは☆

子供の頃から、きちっと挨拶(人に対しても、仏様に対しても)を、教えて、身をもって実行するのは、とても大切なことだと思いますわ。いい幼稚園ですね!

最近、「自由保育」なるものがあるそうで、『自由』と言えば、聞こえがいいですが、内実は、放任主義というか、子供の自主性?に任せる、という「えっ?」って、思わず、首を傾げたくなるような、幼稚園もあるそうですから。

子供だからこそ、基本は小さいうちから教えないと、子供、本人が苦労するでしょうに。。

ところで、私も、「三本足の一本の方を正面にする」のが正式と、今回初めて知りましたけれど、確かにその方が、見た目にも美しいですし、知らずに私も一本足の方、前にしていましたわ☆

こういう、一見何気ないところに、美しさがあるんで、感心してしまいますわ♪
これみよがしでない美意識がありますし。

お作法も、興味ありますわあ♪
ご住職様、大谷ご出身なんですね。ご卒業後って、どこかに修行とかされるのでしょうか?

曹洞宗だと「永平寺」に雲水さんとして
修行されたりしますでしょ?

浄土真宗は、どこでするのかしら?
と、素朴な疑問で申し訳ありませんが。。。


投稿: マリア | 2006年9月26日 (火) 23時56分

こんにちは!マリアさん
子どものしつけや行儀は、家庭で作られる部分が多く、また両親や祖父母の姿を見て覚えます。たとえば、朝のご家庭で両親がちゃんと「おはよー」とお互いに言う、朝食時に手を合わせて「いただきます」と言っていれば子どもも言うものだと思います。放任するにしても、親や周囲の大人がちゃんとしてれば子どもは見習うものだと思います。大人は、子どもの手本となる自覚をもって始めて大人と呼べるものかもしれません。大人が好き勝手していれば、子どもに何を言っても説得力なく、逆切れし暴力に訴える大人になっていない親の増加を促進します。

真宗には、いわゆる修行はありません。念仏を唱え、日常の生活の中でその意味を模索していくことが修行かもしれませんね。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月27日 (水) 12時21分

今晩は~ご住職。

ここ最近 ご住職のぶろぐは拝見しているのですが・・・。ついつい拝見だけになってしまって・・。(*⌒∇⌒*)テヘ♪
この記事を拝見し 我が家でも実行せねばと思った記事でした。
我が家はもともとの浄土真宗に変わりまだ4年目。 夫婦は毎日欠かさず 二人で朝・夜とお勤めさせて頂いているのですが・・・。
ゆくゆくは 娘たちにも簡単なご挨拶だけでも 朝・夜と 習慣つけなくてはと思ったのでした。
また・・・これから先 後々の子孫繁栄のためにも これは 孫が出来たなら 小さい頃から しつけていかなくてはと勉強させていただきました。有難う~ございます。感謝でございます。

投稿: neorin | 2006年10月 4日 (水) 19時06分

neorinさん♪こんばんは~!

やはり、日に一回でもお内仏の前に座る、手を合わすことは行儀作法にもなりますし、姿勢を正すいい機会です。お念仏をとなえたり、読経をしたりはあとからおいおいでもいいと思いますよ。

投稿: Kei@住職 | 2006年10月 4日 (水) 21時23分

教えて下さい。
鼎足の場合、一本の方を正面にするということについて以前から悩んでいることがあります。
ここで言う「正面」とは誰なのか?ということです。神仏に捧げる場合、正面は自分に対して向こう側ではないのか?ということです。
「神仏に対しての捧げものであっても正面はいつもこちらに向く」という解釈であればわかりやすいのですがそれで良いのでしょうか?

投稿: とおりがかり | 2021年4月 9日 (金) 13時25分

とおりがかりさん、コメント感謝です。
私たちは常にご本尊=阿弥陀如来から照らされてある身ですので、お供えするのはこちらでも、それはそのまま阿弥陀さんからこちらに向けて尊いいのちへのお供えとしていただくということなので、こちらを向いているのが正しいと思います。合掌

投稿: Kei@住職 | 2021年4月12日 (月) 00時14分

住職、突然の不躾な質問に快く答えてくださりありがとうございました。お供えする心というのは、即、そのまま神仏様からの御饌であったり、お布施であると考えれば良いのですね。すっきりいたしました。合掌。

投稿: とおりがかり | 2021年4月13日 (火) 08時26分

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