« ボクの20年 | トップページ | 人に歴史あり »

季節がわり

暑かったり、涼しかったりが日替わりです。さらに昨日、今日はずっと雨です。愛息は傘は持っていったものの、クツはビショビショで帰ってきました。

季節がわり、実は平均的にお葬式が多くなる時期でもあるのです。暑い、寒いもそれが続いているうち、つまり温度差があまりなければ大丈夫なのですが、その高低に開きが大きくなると、弱っている人にはつらくなるようです。

Flower1004 そんなことを思っていると、昨日訃報を聞き、今夜お通夜を勤めてきました。人が亡くなるという場には、慣れてはいても緊張感を伴います。そこには「死」という教えを説く仏となった存在、つまり亡き方を弔う、その教えを聞くということを共有する空間で、ボクは弔問の方々と仏を結ぶ役目をおおせつかっているという緊張感なのかもしれません。

これは、どんな職種でもおなじことですが、ボクらにとっては年に何回もあることでも、施主にとってはただひとりの親族を仏とし、その教えをいただく数少ないご縁であるということですね。そういった儀式がどんどん簡素化していく昨今だからこそ、ボクら僧侶はお経の配達人ではいけない、その自覚が問われていくのだと思います。

若い同業者から、「ボク、なかなかしゃべれないんですわ」と言うことを聞くのですが、ご法事やお通夜の後のヒトコト(法話)が言えないというのです。ボクも、本音を言うとしゃべらずにすむなら、と思います。でも、それではなんのためにボクらは僧侶をやってるのか? ということになります。漢文のお経を読むだけでどれだけの人が理解できるか? 読んでいるボクらでもいまだ難解なのです。だったら、その時点でわかること、思うことを伝える手段としてしゃべることが大事であろうと思いながら、下手を承知でしゃべっています。

聞く方々には、どうか疑問や感想をお寄せください。しゃべるのにいっぱいいっぱいのボクには、それが勉強になりますので。

にほんブログ村 哲学ブログへ

|

« ボクの20年 | トップページ | 人に歴史あり »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

今晩は~♪  ご住職。。

そうですね~。。この季節になると 我がお店にも そのための注文が増えたり 小物を買いにきてくれたりとします。
法事などの後の和尚様のお話・・・今日は何をお話してくれるのかな~!と心楽しくしているものですよぉ~。
先日 真言宗の我が町のお寺に行った時に そこのお尚様が居られて 色んなお話をしてくれて 楽しく勉強になりました。

そうそう~~ご住職!!
ここ最近 何かと 家事にお店に忙しくなってきたので 『哲学ブログ』から立ち去りましたよぉ~。。。
また・・・時間が出来 『哲学ぶろぐ』に登録したくなったら また 一からの登録です。。。
ご住職の 応援クリックしに またお伺いします~ね。。=*^-^*=にこっ♪

投稿: neorin | 2006年9月 8日 (金) 20時28分

neorinさん♪こんばんわ~!

今日は夏の戻り、暑かったっす~! 真言宗さんはどんなお話をされるのか興味ありますね~。ボクは、ここに書いているような感じですけどね(苦笑)。

そうですか、お忙しいのはよいのですが、お体はご自愛くださいね。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月 8日 (金) 22時18分

おはようございます。お忙しいお寺なのですね。こちらは人口もそう多くない土地柄、ときどき2,3件重なることもありますが、善福寺さんよりは時間に余裕があるようです。

ところで、私も下手な話をなるべくするようにしています。全く同感です。何のために坊さんかということ、お経だけでは仕事をしたように思えなくなってしまいました。お互い頑張りましょう。

投稿: 全雄 zen9you | 2006年9月10日 (日) 07時28分

全雄さん♪こんばんは!

本当に重なるときには重なる、そういうもんかもしれませんね。お話、法話とかお説教とか言われると、そんなたいそうなものではなく、感話と自分で言っています。日々の生活から感じること、聞いてくださる方がどう感じてくれるか、そういう意味合いもこめてです。こちらこそ、勉強させていただいてます。がんばりましょう。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月10日 (日) 19時50分

(コメントが遅くなって、タイミングがずれていますが、お許しを・・・。)
我が檀家寺のご住職はお話しが本当に下手です。その上話がまとまらないから、30分以上もダラダラと話をしておられます。
ご自分でも「私のまずい話で申し訳ないですが・・・」と前置きして話をされますが、一体何を我々に伝えたいのかが分からないお話しになっております。
話している途中で、いろいろと話が変わっていき、話の焦点がボケるとでも言ったらよいでしょうか・・・。
(ちゃんと、題材を用意して、ノートにまとめて来ておられるようですが、その努力が可哀想なことに反映されていません。)
また、身近な題材を話題にせず、難しい哲学的な話になってしまうので、特に年を召した方には、難解だと思います。(よく“同朋新聞”の記事を題材にされてますが、あの新聞は難解な、奥深い話が中心で、私には読者を減らしているように感じます。あの新聞の隅々まで目を通して理解していらっしゃる在家の信者の方はどれだけいるのでしょうか?私は隅々まで読みますが、「ああ、やっぱり難しいなあ、眞宗は。」という感想になりがちです。おっと、話がそれてすみません。)
日常生活の出来事を題材に、ただ一点に内容を絞って話をされたらよいのになあ、と思ってしまいます。
我が父などは正直に、ご住職に「もっとわかりやすい話をして欲しい」と苦言を呈しております。
そのためか、少しずつではありますが、興味の持てる・共感できるお話しをなさるようになりつつあります。(それでも、もう70歳の方ですよ。)
お話しこそが宗教の大事さを伝える唯一の方法と思いますので、お話しの苦手な方は、自分はその専門職であるという自覚を持って、素敵な話が出来るように精進していただきたいと思います。
私は教師をしてますが、教師が授業出来なくては“能力不足教師”と世間は槍玉にあげますが、僧侶は?
お経を聴いてこのお経が何を意味しているか、どれだけの在家信者の方が分かって聴いているのでしょうね。
だから、お経後のお話しが大切なのだと思います。
今、現代に生きてる我々の言葉で語ってくださり、真宗の教えをかみ砕いて伝える。
ここに、僧侶が僧侶である意味があると思います。
「話が不得意で・・。」と言い訳していたら、絶対駄目ですよね。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月13日 (水) 17時52分

追加ですが、
私は、仏式のお通夜に出て
2度その際のご住職のお話に感動したことがありました。
一度は禅宗でしたが、亡くなった方のご縁に絡めて、仏様に関しての非常にわかり易い素晴らしいお話をされました。この時は、仏教他宗派のお話はこんなにわかり易いのか、と感慨にふけったことを思い出します。
もう一度は最近ですが、浄土眞宗本願寺派のご住職のお話でしたが、亡くなられた方の思い出と残された家族の方へのメッセージで感動して、涙が出るほどでした。私は真剣に、檀家寺をそのお寺に変えようかと思ったほどです。父も「今日の話は本当に良かったなあ。うちのご住職もあんな話をしてくれるようになればな・・・。」と感想を漏らしていました。
他に、これはかなり以前になりますが、キリスト教式のお通夜に参列した時。
牧師さまの信仰についてお話に、キリスト教があまり好きでない私も「お通夜は、キリスト教が一番か?」などと考えたものです。
以上、宗教ではお話がいかに人の心を掴まえ、感動させて心を動かすものであるかを、我が体験で伝えさせていただきました。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月13日 (水) 21時05分

喜右衛門さん、こんばんは。

ん~む、お宅のお手次寺のご住職は、おそらくご自身でも深く悩んでいらっしゃるのではないでしょうか? ご門徒の反応を気にしていなければノートを使用したりはしないでしょうし、逆に開き直ってお話自体をしなくなってしまうと思います。

少しづつでも改善されてきているのなら、気長にお付き合いされてあげてほしいと思いますが、できたらそのお寺でご住職を中心に、ご門徒有志で勉強会を開くことを提案なさってみるのもいいかもしれませんよ。いかがでしょうか?

投稿: Kei@住職 | 2006年9月13日 (水) 21時35分

う~ん、悩んでいるのではなく
気づいていないのではないでしょうか?
在家の信者が求める説法と
ご住職の捉えられている、仏の考えのずれに。

このご住職の声かけで、
毎週集まっての「報恩講の正信偈の唱え方講座」とか、お正月のお寺に檀家門徒全て集まっての「修正会」も企画されたり、意欲は持っていらっしゃいます。
その上、ご住職は
名古屋の別院にも頻繁に参詣され
ご講話をお聞きになっていらっしゃいます。
しかし、そのご講話をそのまま
我々一般の檀家信者に説いても
難しすぎはしませんか?
だから、身近な物事から、
「ああ、ありがたし。」とお念仏が
生まれるような話を求めるのです。
檀家はご住職にそれを求めており、
檀家の要望にこたえようとなさっていらっしぃますが、
(つまりわかりやすく言えば)興味の持てる様に噛み砕いてお話ができないのです。
自分と他の人との理解点が同じところにあるような錯覚に陥っているようです。
我々は、決して高邁な説法や深遠な言葉の意味を聴きたいのではないのです。
心に響くお話を、「ああ、本当にそうだなあ・・・。」と心より共感できるお話が聞きたいのですよ。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月13日 (水) 23時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 季節がわり:

« ボクの20年 | トップページ | 人に歴史あり »