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多事想論1

2006091304706720jijpsociview001 自民党総裁選挙が近く、その選挙で選出される人が首相となるわけですが、その最右翼たるAさんが「憲法改正」を声高に公約しました。率直に、恐ろしい時代になってきたなぁと感じ、またそんなこの国の指導者決定に国民はまったく関われないことに疑問を感じます。

この秋に公開されるCイーストウッド監督作品「父親たちの星条旗」の原作本「硫黄島の星条旗」(文春文庫刊)を今読んでいますが、その冒頭に

「国と国も間のことは、母親たちが協議したほうがいい。戦う国々の母親たちは、この殺戮はもうやめよう、こんなことはもうやめよう、という点で同意するだろう」

との言葉が書かれていて、大きくうなづきました。首相候補Aさんのモットーは「戦う政治家」とか。イコール好戦的人物とは言わないが、平和や協調を掲げていないことには変わりはないですね。

話は変わりますが、先日のお参りでその家のご親戚(ウチのご門徒ではないですが)の話を聞いて愕然としました。80歳近い一人暮らしの母親が目を患い一人暮らしが困難になってきたので、長男(50代半ば)が同居を考え始めたらしいのです。ところが、その妻(50すぎ)が、義母の介護をするくらいなら離婚したいと言い出したというのです。

最初はせいぜい30歳~40歳前後の方かと思えば、50歳もすぎた成熟した大人の発言と聞いて二の句が告げませんでした。むろん、妻が義母や義父の介護をするのは当然などと言うつもりは毛頭ないですし、これはご夫婦、お孫さんを含めたその家族全員の問題であり、その方の私には関係ないという姿勢はいかがなものでしょうか。

その女性には、自分もいずれそういう身になるかもいしれない、そうなったときに子どもたちに「お母さんは、おばあちゃんの面倒みなかったでしょ?」と言われたらどうしますか? と聞いてみたいです。面倒や迷惑をかけ合うのが家族ではないですか? たとえば、オムツを替えてくれた親がオムツが必要になったら、子どもが替えてあげるのが筋というもの。妻はもともと他人かもしれない、でも家族としてのご縁を条件付で引き受けるものでしょうか? 婚姻は企業同士の契約ではなく、そこには情というものがあるはずです。

ちなみにウチの父親(前住職)は、「長生きすれば、迷惑かけるから頼むぞ」と言い切っています(苦笑)。でも、繰り返しますが、迷惑と面倒をかけ合うのが家族というものではないでしょうか?

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コメント

「人には迷惑をかけてはいけません」
これが、親が子どもに人生において、社会において、守ってほしいと、伝える内容の代表であるのが現状ではないでしょうか?
しかし、私は『人は迷惑をかけるもの』と思っております。
この言葉は、真言宗の若い僧職の方のお話の中で出てきた言葉で、私は「ああ、そうか。」と合点がいきました。
この言葉のどちらを重点にして子どもに教えるかで、子どもの人間というものに対する考え方は、180度変わってくると思うのです。
「人に迷惑をかけるな」と教えられた子どもは、迷惑や迷惑をかける人を“悪”と捉えます。そうなるとどういう結果になりますか?

(私は家族に限定しません。)人は生きているならば、他のものの命をいただき、気づかぬうちに世間様に迷惑をかけ、家族や友・同僚の支えを受けて生きているのですから。
「人は迷惑をかけるもの」
そう自覚して生きていくなら、お互いが迷惑を掛け合って生きていく事を当然と受け取れます。
であれば、迷惑をかけた時に「ありがとう」「すみませんね。」という言葉が自然に出て、他の人を支えた時に「いいえ、どういたしまして。お互い様ですから。」という言葉が生まれましょう。
(この話題の奥様が介護することになった、義父様は、どのように今まで生きてきたかわからないので、私は一概にこの奥様を責めることはようしません。この義父様が自分の両親をないがしろにして生きてきたのなら、自分の義理の娘に報いを受けているのかもしれませんね。元気な時から、義理の娘に「悪いねえ、いつも世話になって。」という言葉を以前から掛けられていたのでしょうか?自分の蒔いた種がどんな芽を出すか。人は感情のある生き物です。どちらに転ぶも、その人次第かもしれませんな。)

私は「人に迷惑をかけるな」より
『お互い様』という言葉を子どもに伝えたいと思います。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月15日 (金) 01時35分


コメントで
「義父」とあるのは「義母」の間違いです。
すみません。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月15日 (金) 01時38分

こんにちは、喜右衛門さん!

おっしゃるとおりですね。人は迷惑をかけ合う存在だからこそ、「おかげさんで」という感謝の言葉がでてくるのですね。なんか、いつもボクの言葉足らずを補ってくださってるようで、申し訳ないやらありがたいやら(苦笑)。今後ともおよろしゅう。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月15日 (金) 12時26分

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