遠くて近い? 近くて遠い?
今日は、先日四十九日を終えた砺波市のK家のご夫妻が納骨にご来寺されました。いろんなお話をさせていただき、これをご縁にまたのご来寺をお願いします。
これはKさんだけでなく、金沢市内でもちょっと郊外の方々がおっしゃることなのですが、「もっと近ければ」と。しかし、ヒト昔前には電車(汽車)に乗って、バスに乗って遠方の方はたくさん来られました。
今は、クルマならその半分以下の時間で来られるのですが、遠方の方のご来寺は減少しています。お年寄りは「若いもんに乗せてもらわにゃ何処にも行かれない」とおっしゃいます。その「若いもん」は、平日は仕事、休日は遊びでそんなヒマはない、とのこと。
これは、ヒトエにお寺参りに魅力がないというボクらの不徳のいたすところでもありますが、楽を覚えると以前にはしていたことが苦痛になってくる、つまりクルマでの外出から、電車やバスでの外出への逆行ができなくなってくるという一面もあります。
当寺では、各行事のご参詣の減少はそれほど顕著ではありません。むしろ新しい顔が見えることも多いのですが、それまで主流だった郊外の農村からの顔から街中からの顔へと変化しつつあります。お墓参りをされる方々にもその傾向は見られます。
それらは良い悪いではなく、先祖代々から今へと続いたご縁への確認と感謝よりも、目先の快楽に身を任してしまう人の安易さと弱さをあらわしているのかもしれません。
仏教徒の多くの人が今ある証、すなわちご先祖からの命のつながり、そのご縁を結んできたのは、みなさんのお手次ぎ寺です。住職とは、もともと留守職(るすしき)といい、そんなご門徒がご参詣されるために日々お寺の留守を預かっている身なのです。
若いとなかなかそれも理解しづらいものかもしれません。でも年をとってくるとそんな命のつながりの確認を欲してきます。たまには、おじいちゃん、おばあちゃんに「お寺へ行こうか?」と声をかけてみてはいかがでしょうか?
「年寄り嫌うな、行く道だもの 若もの嫌うな、来た道だもの」(永六輔さん)。
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コメント
はじめまして☆
耳がいたいお話ですわ。。
私も、今年、お盆は「留守番」と称して
お墓参り、致しませんでしたので(汗)。。
とかく、現代人は「忙しい」「暇がない」を言い訳に使いますけれど、遊ぶ時間は、どこからでも(無理してまで)作るんですよね。
私もそうでして、反省の極みなのですが。。
時間なんて、結局は自分で作るものですし、作ろうとしなければ、それまでですし。
最後の永さんのお言葉、その通りだなぁ、と
思いました。
投稿: マリア | 2006年9月21日 (木) 16時10分
マリアさん、はじめまして!ようこそ!
暇がない、時間がないのは確かなのですよ。というのも、便利さとは忙しさでもあるからです。車、携帯電話、コンピューターなどで便利になり、それまでよりも時間が短縮されました。すると、たとえばそれまで5時間かかっていたコトが3時間になり、残り2時間は遊んでいいかといえば、さらに多くの仕事をするハメになったわけです。
便利さと不便さは紙一重なのですね。さらに、便利になりいつでもできる、行けるとなると、かえってしない、行かないようにもなります。
良いに悪いはついてまわる、昔の人は上手に表現したものだと思いますよね。
投稿: Kei@住職 | 2006年9月21日 (木) 21時21分
こんばんは☆
お返事、ありがとうございます☆
「便利と不便は紙一重」「良いに悪いはついてまわる」
全く、その通りでして、グウの音もでないですわ。。
さすが、ご住職様!裏があれば表もありますものね。この世には。
ところで、つかぬ事をお聞きしますが
私の実家は、浄土真宗で、お寺さんが西本願寺だったと最近知ったのですが。。
西本願寺と東本願寺の違いは?
「波阿弥陀仏」って、お墓やお仏壇で唱えてはいけないのでしょうか?
分らないことが、いろいろありますわ。
是非、ご伝授のほどお願い申し上げます☆
投稿: マリア | 2006年9月22日 (金) 17時06分
マリアさん、こんばんは!
東西本願寺の違いですか? 歴史的には、豊臣方=西、徳川方=東という形での庇護の元に分裂したのがはじまりですね。
お経や教えそのものはほとんどおんなじだと思いますが、お経の読み方(節回し等)や発音、お焼香の作法(西=1回・東=2回・どちらもお香はいただきません)などが違いますね。
「波阿弥陀仏」?? すみません、これは始めて聞きました。どういったものですか? え? ボクが聞いてどうするって(苦笑)?
投稿: Kei@住職 | 2006年9月22日 (金) 21時20分
こんばんは☆
意地が悪いですわあ、ご住職様は(笑)。。
勿論『南無阿弥陀仏』の事ですよっ!!!
うち間違えに気付いたのが、送信後。
「あっ!」と思ったものの、訂正するのも野暮!と思い、そのままにしていましたが、う~んやはり、訂正するべきでしたわ(笑)
ご住職様、本当、冗談抜きでお願いいたしますわ。
お恥ずかしくて、恐縮なのですが、何せ私、母から
「家の宗派はお題目唱えない」と聞いていましたので
新興宗教なの?って思ってしまった程の、「無知の徒」ゆえ、
何も唱えないのも口寂しい?ので『南無妙法蓮華経』と
勝手に(子供の時から)唱えていたくらいでしたので。
しゃらくさい!とお思いでしょうが。是非。
投稿: マリア | 2006年9月22日 (金) 23時30分
いやいや、ホンマに悩んだんですよ、「波阿弥陀仏」てなんやろ?って。打ち間違えかとも思ったんですが、そう指摘するのも失礼かなぁとも考えたんですよ(苦笑)。
「南無阿弥陀仏」は、仏さんの教え=ご先祖をはじめ、さまざまなご縁によって私が今を生かされているということを確認し、ありがたいという言葉だと思います。
無数の命のつながりの中で、この身が生まれ生かされてきたことを大事にしていく言葉、どこで口にしてもいいと思いますよ。
投稿: Kei@住職 | 2006年9月22日 (金) 23時51分