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ボクの20年

昨日のご法事は、東京からお越しのSさんご家族でした。Sさんは、府中にお住まいの方ですが、京王線沿線と聞いて懐かしくなり、つい話が長くなりました(苦笑)。

というのも、ボクは大学時代に同じ京王線の聖蹟桜ヶ丘からバスで15分くらいの場所でアパート暮らしをしていたのです。Sさんとの会話の中で、仲間たちとよく行っていたボーリング場が取り壊しになったとか、そんなお話を聞き、大学に入学した年からもう20年も経つんだなぁ、とトキに流れをしみじみ感じました。

Dsc00443_1 以前にも紹介した原付バイクですが、こいつは大学3年のときに購入したもので、数少なくなった大学時代の匂いを持つアイテムです。ちなみに、今でも大学時代のジーンズはかろうじて穿けるし、数本健在なんですよ(笑)。当時はスリムばかり穿いていましたが、最近はストレートしか売ってないんで、新たに購入する気がなかなかしません。

音楽好きなボクにとって、それこそ20年かけて集まった1,000枚弱のCDは宝物であり、この20年のボクの歴史だなぁと感じます。執着心と言ってしまえばそれまでながら、ボクも来年4月には40歳なんだなぁ、としみじみ思う秋の始まりでした。

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日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事

コメント

先日は突然失礼しました。靖国問題について同じような問題意識をお持ちだと思い、TBさせてもらいました。

宗派意識はなるべくやめにしたらいいと思っています。仏教をもっとピュアーなものにしていかなければいけない。時代的な危機感を持って、何をしなければいけないかを考える大同団結の時代であることを考えてもいいときではないかと思っています。東京あたりでは、もう既に若手僧侶が寄り集まり会合を重ねているようですが。

ところで、大学時代は東京だったのですね。私は何年頃か分かりませんが、広島に行く前は、江東区深川の小さなお堂で堂守をしてました。またお邪魔します。

投稿: 全雄 zen9you | 2006年9月 6日 (水) 07時32分

こんにちは。真宗高田派の僧侶34nです。
来年で40とのコト。私も同じく、来年の3月で40になります。京王線と聞いて、私も学生時代、蘆花公園にすんでおり、おっ、と思いコメントしてしまいました。20年ってあっというまですね。若かったなー。

投稿: 34n | 2006年9月 6日 (水) 07時55分

全雄さん、ようこそいらっしゃいました。そうですね、おんなじ仏教といっても以外と他宗派のことは知らないことが多いんですよね。ボクが思うのは、仏教はご利益を求めるものではなく、今生かされてある喜びと生きる指針となるものだと思っていますが、どうも知識と教養を満たすコトを前提されている方が多くなっているように思いますが、いかがでしょうか?

34nさん、はじめまして、ようこそ! おぉ~、タメなんですね(笑)。でも、3月ということは学年はひとつ上ですね。ホンマ20年なんて早いものです。蘆花公園ですか? ひょっとしたら京王線ですれ違っていたかもしれませんね。高田派さんですか、真宗10派といっても不勉強であまりよく知らないことも多いので、いろいろ教えてください。およろしゅう。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月 6日 (水) 11時36分

専門職の方に割ってはいるようで申し訳ないですが(笑)、
最近の若い僧職さんは、
知的な路線、科学的な方向で、
信者の方にお話しをされるようですね。(その方が現代人には分かり易いと考えるのでしょうね。)
うまく表現できないのですが、
つまり“霊”はない(死んだことがないからわからない)とか、“死後”はない(科学的に証明できないから)という表現をされます。
これは「浄土眞宗」に限ったことではないことが最近分かりました。
現世利益の宗派「真言宗」や「天台宗」でも、その傾向があるようですね。
私は『不思議』は『不可思議』として
未熟な人間の未知な状況を
無理して理性で捉えずに
それはそのままでよいという
ふんわりとした曖昧な深さのある状態でおいたら良いのに・・・、
と思ってしまうのですよ。
その方が、この大宇宙の真理を超えた御存在に、また様々な生きとし生けるものに対して、“生かされていることへの感謝”がわき起こってくると私は思うのですが・・・。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月 6日 (水) 13時48分

喜右衛門さん、以前の会話でボクの言い方が悪かったようで、その点反省しております。
確かに人智を超えたものは存在するでしょうし、なんらかの力が働いているのかもしれません。そして、それをどう証明するのかを探求することも悪いことではないでしょう。
そうですね、「ふんわり」というのはよい表現かもしれません。人はどうあがいたところで、無から何も作り出せない存在ですし、自然から与えられたご縁を利用することからしか何もできないのですから。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月 6日 (水) 16時45分

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