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トコロ変われば

Dash 朝晩けっこう寒いですねぇ。でも、まだ9月の半ば、暑さ寒さも彼岸まで、という言葉も死語なんでしょうかね(苦笑)?

今日はご法事の後に、砺波市の庄川荘さんへつれていっていただいたのですが、おいしい子持ち鮎をいただきました。その席で、同席していた方から、ウチのお寺さんとお経が違うように聞こえたと言われました。

よく聞いてみると、そのお寺さんはいつでも「仏説阿弥陀経」を拝読され、ボクらが今日拝読したのは「仏説観無量寿経」だったのです。これは、良い悪いではなく、地域差があるのは確かなんですね。そして、お供えするものや、お焼香の仕方等も違いがあるものなんです。

たとえば、お通夜の次第などは、金沢では、阿弥陀経~法話~正信偈(三首引)ですが、能登では正信偈(六首引)~法話、富山では阿弥陀経~法話という具合なのですね。これは、言ってしまえば方言みたいなものかもしれません。正式にはこう、だからそれに合わせなさい、といってもそれは標準語はこうだから方言はやめなさいというようなものです。むろん、これだけは守るべきという部分は必要です。

乱暴なたとえかもしれませんが、それだけ生活に根ざしているという意味では同じなのです。今日の砺波あたりではお餅のことを「おけそく」といいます。これは「お華束」と書きますが、真宗での正式なお供えのことです。砺波では、お供えにするしないに関わらず、お餅のことを「おけそく」と呼ぶ、それだけ生活の中に仏事が根ざしているということなんですね。

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コメント

へ~。そうですか。
眞宗は、お通夜ではこのお経、
盆参りではこのお経、
報恩講さんではこのお経、
法事ではこのお経、
と決められているものだとばかり思ってました。(地方の変則的なやり方も認められるのですね。そのほうが日本式仏教の良さがあり、柔軟で、私には素晴らしいと思いますよ。)

かつては、この地方でも、
本式ではなかったようですが、
だんだんと、本来の東本願寺派(大谷派)の
正当な方法でなされることになってきています。
正式な仏壇内の荘厳の方法やお供え、
お焼香の方法も決まってますよね。
ご住職が指導されるから
それに合わせてきていますね。

こちらでは“おけそくさん”と呼んでいます。花びらのような縁取りをされ、中心に棒を通して、何段かにしてお供えするお餅ですよね。

投稿: 喜右衛門 | 2006年9月17日 (日) 12時59分

喜右衛門さんのところは、どんなお経でしょうか? といっても真宗のお経は3つだけですけどね(笑)。

ご本山では、正信偈の読み方でどこの出身かがわかるという話も聞きます(ホンマかいな?/笑)。

そちらでも、おけそくと言うのですね。そうそう、お持ちで花束を表現するから「華束」なんですね。

投稿: Kei@住職 | 2006年9月17日 (日) 21時58分

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