ありがとう、もったいない
総代Fさんはじめ、世話方の皆さんありがとうございました!
そして一緒に回ってくれた源正寺住職のコウちゃん(たまにはコメントちょうだい/笑)、お疲れさまでした! ありがとう!
さわやかな秋のハマ風が心地よく、一年に一度のご縁を気持ちよくいただいてきました。しかし、今年は全部で47軒で、年々減少しているのが実情です。
かつて、ボクがはじめて内灘地区報恩講を勤めた15、6年前、このときには、この倍近くあったように思います。中でも一番軒数の多い4丁目は、そのときに一日で36軒を10時間ほどかけて回り、足が棒のようになり言葉もなかったことを思い出します。
しかし、その後この村にあり当寺のご門徒だった旅館で打ち上げをしたことがとても楽しかったことも覚えています。疲れ果て、しんどかっただけに終わったあとのビールのうまかったこともね(笑)。
そのころ、お世話くださったお年寄り方の多くはすでに亡くなり、代替わりしてはご縁を絶っていかれたお宅も多いです。その理由には、当寺のご門徒であっても、もともと当寺の道場だった源正寺さんに日々の月忌参り等をお任せしていることから、代替わりしたときに、若い方はお寺がふたつも必要ない、近い方だけでいいのでは、と思うらしいということもあるらしいのです。
これは、もちろん源正寺さんに責任があるわけではなく、昨今の家庭事情も大きいのだろうと思います。ひとつ屋根の下に住んでいても、お年寄りと息子さん夫婦、お孫さんがいっしょに食事をしないお宅が非常に多いのです。ということは、その日の出来事からその家に代々伝わってきた風習などを伝える会話の機会が失われているということなのです。
当寺と内灘地区のご縁は、数年単位ではなく百年単位です。ということは、その家の歴史の中の節目節目、つまり通夜・葬儀・ご法事・報恩講等と密接に関わってきたということです。
少なくなりましたが、今でもボクらが報恩講に行くと、涙を流しながらに「ありがとう、ありがとう、もったいない、もったいない」と迎えてくださる内灘のおばあちゃんがいらっしゃいます。こんなおばあちゃんにお会いすると、足が棒でもしっかり勤めようと気持ちが引き締まったりします。このおばあちゃんは、今年も報恩講に会えた今、この瞬間のご縁に感謝していらっしゃる、なんの修行も勉強もしたことのないおばあちゃんですが、しっかり「今、この瞬間瞬間のご縁を大事に引き受け生き切る」という阿弥陀さんの願い、つまり本願を身をもって実践されているのですね。
親鸞さんがおっしゃられた、文字をも知らぬ者ほど、仏法を知っている、という意味を、このおばあちゃんはボクたちに教えてくださってあるのだなぁと、こちらこそ、ありがとう、もったいない、そんな思いがします。
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