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あるご家庭にて

Dento_higasi ひさびさに雨がふり、庭の水撒きをせずにすみました。しかし、暑いです!

昨日は、富山県砺波~南砺のご門徒さん宅10軒を回って報恩講をお勤めしてきましたが、襦袢がしぼれるほどの汗をかきバテバテで帰ってきました(苦笑)。今ごろ? と思われるかもしれませんが、秋の報恩講シーズンには金沢で手一杯なため、この次期に参勤させていただいております。

さて、今日はいつもの月忌参りをしておりましたところ、とあるお宅にてなんとも言いようのない光景と出合いました。

いつもは、おじいちゃんとおばあちゃんがお参りされるのですが、今日は夏休みでお孫さんもいらっしゃいました。しかし、小学生(高学年?)の彼女は「おはようございます」と言って部屋に入ったボクに一瞥もくれずにテレビを見続け、読経が始まるとイヤホンをしてテレビ鑑賞を続けていたのです。

そして、おじいちゃんも、おばあちゃんもそのお孫さんに何も言わずお参りされていたのです。読経が終わっても、ずっとその姿勢を崩さない彼女、どこか苦々しい表情のおじいちゃん、お茶を持ってきてくださったおばあちゃん、お茶をいただきながら雑談を交わすボクが同居する、なんとも複雑な空間でした。

ボクがそのことについて一言、という雰囲気でもなく無力さを感じつつそのお宅をあとにしました。長年お邪魔していてるお宅でありながら、そのご家庭に一歩踏み込むことをためらうボクがいました。

実は、「若いもんには何も言えん」と苦笑されるお年寄りは、非常に多いのです。特にお孫さんの教育には、「時代が違いますわ」と何ひとつ叱らず、しつけられない環境にある場合が多いのです。

どうして、こうまでお年寄りの立場が弱くなったのでしょうか? ボクのおじいちゃんは、かわいがってくれた半面、非常にしつけには厳しい方でもありましたし、それに対して両親が意義を唱えたことはないように思います。

ボクがこのようなお宅に、思いきって「おかしい」と言うことで何が変わるわけではないかもしれません。でも、言わなければならないことではないでしょうか? 皆さんはどう思われますか? ご意見お聞かせください。

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「心と体」カテゴリの記事

コメント

今晩は~♪
('0')/ハイ! 同感です。
やはり・・・言わないければいけない事は 言わないとですよね。 これからのその女の子の将来が心配ですよね。
同じ女の子をもつ母親としては 特に我が娘などでしたら これから この家を継いでいく子なので 何かと 教えていけないと思っているこの頃です。旦那のご両親などは あまり仏様に対して 何もしていない人なので・・・。
私たちの代から一つ一つ教えて行かなくてはと思うこの頃なのです。
今の子供・・・・親もほったらかしの子供も増えてますよね。
娘の友達を見ても ほったらかしで育った子と そうでない子では それぞれの違いがはっきりと分かります。
我が家の旦那は子供に甘いので 私が怒る役目です。 旦那が甘いのも困ったものですよ。過保護すぎて・・・。
これから 親が居なくなった時を考えたら もっと 一人でも するべき事を出来るような人に育って欲しいと思うこの頃です。
なんか・・・私の愚痴となってしまいました。(;´д`)トホホ

投稿: neorin | 2006年8月17日 (木) 21時19分

neorinさん♪こんばんは!

そうなんですよね~。その子の将来を考えたら時として厳しさも必要であり、勉学も大事ですけど、常識あるひとりの人として育てる役目が親や家族にはあるはずなんです。

むかしから、「お里が知れる」とか、「親の顔が見たい」とか、という言葉はそのまま家庭での教育が大事であり、こういう言葉を言われない、子どもが世間に出て恥ずかしい思いをさせたくない、そういう親心であり、家族愛だと思うんですよね。

はい。父親が甘いのはしょうがないです。ましてや娘さんなら(笑)。ボクも娘がほしいですぅ!

投稿: Kei@住職 | 2006年8月17日 (木) 23時55分

おこんばんわ~♪
今日は なぜか・・・この時間帯に目が覚めてしまい・・
またまたお邪魔を・・・。
父親・・甘いのは しかたが御座いませんか~??
≧(´▽`)≦アハハハ
では・・・また。

投稿: neorin | 2006年8月18日 (金) 02時49分

初めまして、博多の団塊世代親父です!!
neorinさんのブログからお邪魔しました。
昨年の5月に鬱病と診断されて、かなり苦しい日々を過ごしましたが、今年の5月15日から会社に復帰することが出来る様になりましたが、家族や仲間の暖かい心を感じることが出来、鬱病も捨てたモンじゃないと少し感謝しています。病気に感謝するなんて可笑しいかもしれませんが、素直にそう想うことがあります。
小学校高学年の女子に「おかしい」と言わなければならないかということですが、形式的な言い方では何の効果も無いと思います。自分が本気でその子の事を想って導いてあげようと思えば、自然に何らかのアクションが出ていたと思います。
自分が何か言ったから何か変化があるのかと考えるようなことでは無いと思います。
neorinさんの今日のブログに『禅定』ということが書いてありましたが、自分が今やれることを一生懸命やることだと思いました。その女子に対して真剣に諭してあげることが出来るならやるべきだと思いますが、世間的な一般的な注意であれば、効果は無く、自己満足に終わってしまうのではないでしょうか?
こんな社会になったのには我々団塊世代の人間にも大いに反省すべき事があると思います。そのことについては、又後日お話させてください。
このブログは私の癒しの空間でもあり、楽しみに見ていました。
又お邪魔させてください。有難うございました。

投稿: shinobueakira | 2006年8月18日 (金) 03時51分

shinobueakiraさん、はじめまして。ようこそいらっしゃいました。

鬱病ですか、それは大変でしたね。ご家族やお仲間の暖かさを感じられたとのこと、そういうときにそういう人々が身近にいらっしゃったということは、そういうご縁をこれまで結んでこられたことではないですし、おかげさんでというお気持ちになられたことでしょう。

よく、家族には迷惑かけたくない、と言います。でも、そう思っていても、いざそういう身になったときに迷惑をかけられるのが家族であり、親しい友人なんですよね。極論すれば、みんな何らかの形で迷惑をかけあいながら生きているとも言えますし。

逆に、お互いに迷惑をかけあい、それを受け止めあえる関係を築くこと、そんな人間関係こそが真の家族であり、友人ではないでしょうか?

アドバイスありがとうございます。その子にとってボクは他人でしかない、そう思っていたことがボクを黙らせていたように思います。その子だけでなく、何年もお邪魔してて、この家のおじいちゃん、おばあちゃんとも真の関係が築けていないボクがいるんですね。

今日から、一軒一軒のお宅との関係を見直しながらお参りに回りたいと思います。

また、ぜひいろいろお話聞かせてください。よろしくお願いします。

投稿: Kei@住職 | 2006年8月18日 (金) 08時52分

すみません、上レスの「そういうご縁をこれまで結んでこられたことではないですし」は「結んでこられたということですし」の間違いです。

neorinさん、父親が甘いのはしょうがない、娘を持たないボクのイメージでのコメントです。すみませんでした。

投稿: Kei@住職 | 2006年8月18日 (金) 08時55分

その子に間違いを指摘するのは正論ですが、
「そう言うと思った」と思われるのがオチだと思います。
逆に「そのテレビおもしろいんだよね。」とか全くお参りと関係ない会話でもできたらいいのではないかと思ったりします。
同じ空間にいるだけでもいいのかも知れません。自分の部屋に引っ込んでテレビ見られたらそんな接点さえないのでしょうし。
何年間かの計画で気長にその子と付き合っていくのがいいのでは?とか思いました。

投稿: 通りすがりの者ですが | 2006年8月19日 (土) 01時25分

通りすがりさん、はじめまして、ようこそいらっしゃいました。

アドバイスありがとうございます。ただ、この子には、年に1,2回ほどしか会わないんですよ。だからこの子に何も言わない(言えない?)おじいちゃんとおばあちゃんに、ボクが苦言を呈してよいものか、言えない家庭事情があるのか、そんなことを思うと一歩が踏み出せないのです。遠まわしに、それこそ長期展望でいってみようとは思います。

今度は、ぜひ何かHNをつけてご訪問いただけるとうれしいです。

投稿: Kei@住職 | 2006年8月19日 (土) 17時22分

我が家の子も、お参りよりもテレビを優先させたいという思いがあるようです。
私は幼い時から、祖父母も、父母も、家でお参り(報恩講・盆参り・法事など)があるときにはみんなが座って参座するのが当然の雰囲気でしたから、何の不思議も感じませんでした。
しかし、今のように、子どもがテレビの誘惑の方に強く誘われる時代ともなると、親も祖父母も、「お参りの意義」や「なぜみんなでお参りするのか」ということを諭す必要があるのでしょうね。
「お参りして当然や!」と、私は強く子どもに叱ったり、対応することが多いですが、普段から信仰心の育まれていない子どもには、“信仰”の価値観、“命の有難さ”から、丁寧に教える時代になってきたのでしょう。
信仰や宗教は、年寄りだけのものではないのですから。このように育った子どもが、年を取って、信仰心が芽生えるのでしょうか?中には何かのきっかけで、“仏縁”が出来て、信仰心を持つようになる人もいるでしょうが、このままでは私も不安を感じます。
これは、多分、各家庭での“教え”の問題ではないでしょうか。(子どもは親の背を見て育つとも言いますから、そのような家庭は・・・・。とも思います。)

投稿: 喜右衛門 | 2006年8月21日 (月) 21時58分

そうなんですよ、信仰心とか以前にしつけの問題ですし、それがお参りであるなしに関わらずお客がきたら挨拶をさせるという基本的な問題でもありますよね。

でも、そのときは親に言われて、あるいはおじいちゃんやおばあちゃんに言われてだったりしてお参りした記憶は、その子の中にずっと残ります。そして、ぞの子が親になったときに、その記憶からまたその子にしつけていくということがあるんです。

さらに年寄りになったときに、お参りしていた祖父や祖母の姿を自分に重ねていくものです。そんな家庭内での連鎖が途切れてきているのが現代社会の大きな問題ですね。

投稿: Kei@住職 | 2006年8月21日 (月) 22時43分

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