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続・兵戈無用

Bin041204181546009 今日は敗戦記念日です。首相が今朝ヤスクニに参拝されたらしいですね。コイズミさん個人が、個人の信仰に基づいて参拝されるのは自由です。この国の憲法では、信教の自由が保障されてますからね。

しかし、「内閣総理大臣」として参拝されることは政教分離に違反すると思います。前にも書きましたが、ヤスクニに参拝するということはどういうことか? A級戦犯が合祀されてるからいけないのでしょうか?

それ以前にヤスクニとはなんですか? 国のために戦って亡くなった方への思い、それはあって当然です。でも、戦争を決定した国の指導者にとって、国民を戦争に駆り立て、戦死したら神にしてあげますからという免罪符だったのが敗戦までのヤスクニの役割です。

ある調査では、日本が戦争したら国のために死ねますか? という問いに「はい」と答えたのは15%程度でしかないらしいですね。ボクもその問いには、きっぱり「いいえ」と答えます。なぜなら、人に殺されたくない以上に、人を殺したくないからです。

平素は人を殺すと罪になります。戦時は人を殺せば殺しただけ褒められます。そのひとつをとっても「戦争=異常」と言ってもよいのではないですか? 神になるといわれて死ねますか?

お国のため、そういわれてもまず考えるのは家族のことじゃないですか? それが一般市民じゃないですか? 国あっての国民なのか? 否、国民あっての国です。戦争を決定する国家の指導者たちが、銃弾の飛び交う前線に行くことは決してないところで戦争を決定します。だから、その前線で双方どれだけの血が流れ、一人ひとりの兵士たちの家族が血の涙を流していることまで考えているとは思えません。

東京裁判は勝者の一方的な裁きです。日本にA級戦犯が存在するなら、連合軍諸国にもA級戦犯は存在するはずです。そこには、敵国人民を殺し勝利したものが英雄とされる異常、すなわち戦時の価値観が存在します。ただ東京裁判が示した、戦争には、戦争犯罪という概念があるということ、そしてその戦争の指導者には罪があるという概念を示したということ、一方的であってもそこに大きな価値があると思います。

人類は、戦争すなわち悪という発想をいつになったらできるのでしょうか? 2,500年前に、お釈迦さんがおっしゃられたという「兵戈無用(ひょうがむよう=軍隊も武器も無用)」という思想はいつになったら人類は規範とできるのでしょうか?

アジア諸国が反発するから、A級戦犯が合祀されているからヤスクニを参拝したらいけないというレベルの話ではないのです。あなたは、そしてあなたの子どもや孫をヤスクニの神になるからといって、その命を国に差し出せますか? そんな時代の復古を望みますか? ということではないでしょうか?

前述を繰り返しますが、ヤスクニの神々に声があるとしたら、「二度と我々のような神を作らないでください」ということではないですか? それに「はい」と答えることが、今を生きる我々が戦争で亡くなった方々への何よりの答えなのではないでしょうか?

画像は、ピカソの「ゲルニカ」という絵です。ナチスドイツの支援を受けたスペイン内乱での空爆で地獄と化した街を描いた絵です。一般市民の望みは、平和な家庭というささやかなものであり、本来、国はそれを実現し、保持することがその役目なはずです。

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「心と体」カテゴリの記事

コメント

昨日は突然、お邪魔して、長々と書き込み、すみませんでした。石川県金沢市には4年位前にお訪ねしたことがあります。仕事と観光目的でしたが、北大路魯山人の縁の地だそうで、日本文化の情緒を大事にしている町だと感じました。もう少し早く禅福寺の事を知っていれば、と思います。鬱病になったときに、何故か色々な寺院や仏閣を観にいくようになりました、又、般若心経の写経なども心を癒してくれました。2500年も前にお釈迦様は今のような時代が来ることを予測していたのでしょうかね?凄いことだと思います。
終戦から61年も経ったのに、そして、その時代に生きていた人たちは殆どいなくなったのに・・・戦争が残したものは負の遺産しかありませんよね!
一般国民、いや、世界中の99%の人達が望んでいることは『幸せ』と言うささやかな望みだと私も思います。中学の時に勉強したインドのガンジーのことを思い出しました。お釈迦様やガンジーを生み出す、インドの国には何か素晴らしいDNAがあるのでしょうか?

投稿: shinobueakira | 2006年8月18日 (金) 12時17分

こんばんわ、shinobueakiraさん。

金沢はいい街、観光に来るとそう思わはるらしいですね。住んでいると別段感じなかったりするもんですよ(笑)。

戦争は、破壊と死をもたらすものです。そして文字通りその破壊と死の尖兵となるのは平時には一般市民であった一般兵士たちです。

でも、そこまで一般市民を駆り立てる一役を担ったのがヤスクニであり、そんな時代と為政者を容認し、戦時という事態を招いてしまったのも、また一般市民とも言えます。

戦争責任は、いわゆるA級戦犯にもありますが、そんな為政者を生んだ一般社会と市民にもあるのです。そして戦後世代の戦争責任とは、二度とヤスクニの英霊を作らない、また戦争をする国家を支持しない、生まないことにあると思います。

戦没者を尊ぶ遺族の気持ちは純粋なものです。でも、その純粋な気持ちを利用し、英霊を生む社会の復活を望む勢力、つまり戦争で金儲け等のおいしい思いをしようとする不純な勢力とその支持者たちです。

愛国心といいますが、純粋な愛国心と彼らの言う愛国家心とは違います。民あっての国家であるという、それこそ民主主義の根本をしっかり確認しなければならない時代になってきたように思います。

おかしなお上には逆らっていいと思います。日本人はおとなしすぎるのかもしれませんね。明日のお米に困らない程度に豊かであればいいですし、それ以上望む心は際限のない野望と欲望しか生まないのです。

お釈迦さんの説かれた教典には、食べても食べても満足せず、「もっとくれ、もっとくれ」という餓鬼という存在が出てきます。現代人はこれだけ豊かで便利であるのに、もっと豊かに、もっと便利に、と餓鬼化してはいないでしょうか?

投稿: Kei@住職 | 2006年8月18日 (金) 23時01分

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» 靖国問題の本質 [住職のひとりごと]
昨日終戦記念日に小泉首相が公式に靖国神社に本殿参拝しその是非が問われている。中韓両国はじめアジアの諸国からも非難の声が挙がっている。政教分離という観点からの質問にはまともに答えず、心の問題と言って信教の自由を主張しての参拝であった。 はたしてこれが飛ぶ鳥を落とす勢いの中国との関係を悪化させ、韓国とも正常な外交関係を築けずにいる。昨日も近所の方が見えて、「何で靖国に行っていけないのか」と質問を受けた。スト�... [続きを読む]

受信: 2006年8月24日 (木) 17時42分

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