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阿弥陀さんと鬼神(その1)

11903701 毎年、今ごろには梅雨明けし、子どもと海へ行くんですが、今年は予定がたちません。

ちなみに、今日は快晴ではあったんですが、土曜日とあって子どもは野球、ボクはご法事なので無理です。まぁ、最初から土日や祝日は予定外にしているので、それはよいのですが、なにも土曜日に晴れなくても~、とちょっと恨めしく太陽を見上げていました(笑)。

毎年行くのは、能登羽咋の千里浜海岸なんですが、ご存知の方もいらっしゃるかと思いますが、なぎさドライブウェイ(写真)といって、砂浜をクルマで走れることで有名なスポットです。

しかし、年々その砂浜がどんどん侵食され短くなっています。千里浜近在の友人Nちゃんいわく、「ガキのころの砂浜は、今、遠浅になってるとこまであったんや」と言うのを聞いてびっくりしました。

海岸の浸食は、地球温暖化による海面上昇のほか、その海に流れ込む川の上流にダムや砂防ダムができて、砂の流入が減少したり、海岸線に防波堤などの人工建造物のために砂の移動が不自然になること等が原因といわれています。

温暖化はもちろんですが、そのほかの原因もすべて人間の所業なんですよね。よく「母なる大地」という言葉を聞きますが、専修学院時代に「大地は阿弥陀さんそのもの」ということを聞きました。

というのは、大地は老若男女、卑賤、出自を問わず受け入れてくれている存在という意味で、阿弥陀さんの働きに例えられたんですね。しかし、その大地の存在も信心のない人間があまりにも多くなった現代社会に絶対ではなくなりつつあるのかもしれません。

これは、阿弥陀さんへの信心が不明確になってきたことと連動しているようにも見えます。その原因は、あるかないかわからないもの、つまり占い、吉凶、霊魂、祟り等への畏怖や依存、そして信心が大きく関わっていると思います。

親鸞聖人は、そのご和讃の中で

かなしきかなや道俗の 良時吉日えらばしめ 天神地祇をあがめつつ 卜占祭祀(ぼくせんさいし)をつとめとす

と言われ、さらに

かなしきかなやこのごろの 和国の道俗みなともに 仏教の威儀をもととして 天神の鬼神を尊敬す

と、聖人は700年前から占い、吉凶をあてにし、金銭によるご利益を売り物にする神々を頼りにする民衆を「かなしきかなや」と嘆いておられます。

良い悪い、好きも嫌もなく、目の前にあるご縁、そして自分をあるがまま受け入れていくこと、与えられた今を精一杯生ききること、それが阿弥陀さんの願い(本願)です。

この続きは、またの機会にいたしましょう。

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コメント

ご無沙汰しております。
小坊主つばめでございます。
阿弥陀様が大地。
まさにそう思います。
「自力で歩く」という行為も「大地」という他力あってのことで、そこに「当たり前でない感謝」が感じられる事、安心していけることが、有難く感じます。
有難うございました。

投稿: 小坊主つばめ | 2006年7月25日 (火) 20時25分

つばめさん♪ようこそ~!
そうなんですよね、大地という他力があって、当たり前に歩いたり、走ったり、車に乗ったりは元より、日常そのものが成り立つんですよね。当たり前こそがありがたい、そう思えないほど現代人は傲慢になっていることがこのすさんだ社会に反映されているのかもしれませんね。

投稿: Kei@住職 | 2006年7月25日 (火) 22時14分

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